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近頃やたらと身体中が痛む様になってきた。無理をすると、てき面に負の作用が現われる。そうすると手抜きではないが、要領というものが少しづつだがわかるようになってきた。
まだ、20歳代前半の頃、大学を出たてで、社会人になりたての頃の話。ちょうどバブルが最盛期の頃の話だ。
僕は何をするにも全力疾走しか出来なかったのを思い出す。仕事、趣味、恋愛、友人付き合い、先輩との関係、などなど・・・。 一日が倍くらい時間が欲しいとも考えていた。
その頃、配属された部署は西ドイツ製の研究機器を輸入販売する部門だった。当然、ドイツ語は一から勉強、おまけに文系なので、高校物理も一から勉強、インボイスや欧米向けのカタログを和訳するのに商業英語も一から勉強という風に、大学の四年間よりもよっぽど実質勉強していたと思う。
そして、プライベートではボーイスカウト活動、バンド活動、毎晩の先輩達とのスナック活動、恋人達との?活動である。
当然、その効果は序々にあらわれた。 まず、身体を壊した。肝機能障害、膵炎、腰椎症などなど 酒に溺れた。毎日ボトル半分と日本酒一升を日課とした。 恋人が出来ては失う事の繰り返しだった。ただし全て自然消滅ばかりだった。
次いで、入社一年では不可能だと思われていたラングミュアーブロジェット有機薄膜製造装置の販売契約にこぎつけた。(定価1500万円) [単に営業の行き先に困って大阪の某市立大学の工学部教授と週に一二回ほど茶飲み話しをしていたら、たまたまその教授に科学研究助成費が当たったからのことだけど・・・] そして前任者から引き継いだバジェット(年間目標予算)を倍以上に引き上げた。 [前任者が結構ぐーたらで担当の研究機器が何に使われるのか判ってなかったみたいだけど・・・]
3番目に飲み屋街でのボトルキープ数は20軒を越えていた。 給料はほとんど残らなかった。 貯金など考えたこともなかった。 韓国・台湾・アメリカ・メキシコと海外旅行も年に二回位は遊びに出かけた。 出勤日のうち出張が1/3を占めるので、地方出張にかこつけては、西日本から北九州までの地域で旨いもんと地酒を知った。
結局は睡眠時間を削るしか人の与えられた時間は普遍なので、よく友達や先輩達からも「何をあせってるんや!」と、叱咤された。でも、本人は焦っているつもりなど毛頭も無く、ただ、がむしゃらに、じっとしている事が罪悪でもあるかの様に何かに向かって突き進んでいた。
手を抜くことはもちろん、生来の負けん気も手伝って妥協という言葉は僕には通用しなかった。納品先のお客さんからのクレームで深夜に神戸を出て、島根県の安来市や東京まで車で飛んでいった事も懐かしい。
その頃、小さな会社で製造業を営んでいた大学の先輩が、祖父の代から続いてきたひの会社の商標権を売ることが出来ないかと相談してきた。 僕は営業の立場と法学士のごく僅かな知識をフルに利用して、半年間で某同業他社にその商標権・営業権・販売先などを当時の金額で1000万前後の金額で譲渡する事案を纏め上げた。 成功報酬として一割のマージンを約束してくれていた。けれど、マージンを貰うどころか、賃貸借契約の連帯保証をしてくれと泣きついてきたので、二件の連帯保証人として署名までするお人好しだった。
今から思えば よくあれだけの仕事量をこなしたとは思うけれど、若さとは時に奇跡じみたこともしでかす様だ。そして、手痛い裏切りや自滅も若さゆえに克服出来るのかも知れない。
くだんの先輩は営業譲渡料の入金とともにその愛人と海外逃亡してしまった。この後、僕のまわりの先輩や友人達まで巻き込んで、大きな詐欺事件まで発展した。正直ものはアホを見るとは言うけれど、全員がお金を貸したり、保証人になったりした事を堅く口を閉ざしていた。みんな騙されたと判ったのは、かの先輩が失踪してから随分と時間が空いてからだった。 愛すべきアホウ達は今でもずっと僕にアドバイスや助言を与えてくれている。
そんなこんなで結局僕は多臓器不全という病名で突然倒れ、おまけに精神的にも多大なダメージを受けた為に酒に溺れ、アルコール依存症とまで診断されてしまった。
テーマ:40代のエンジョイライフ - ジャンル:ライフ
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